志賀越道
京都の荒神口より、近江に至る街道
道路
志賀越道
起点
終点
滋賀県大津市滋賀里(現道なし)
説明
京都の荒神口より、近江国(現在の滋賀県)に至る街道です。
元々の経路では、山中村(現 滋賀県大津市山中町)以東は崇福寺(志賀寺)近傍を経て滋賀里へと至ったとされますが、この付近の山中の道路は現存せず、街中区間についても経路が判然としません。具体的な終点位置も不明です。
志賀越道を踏襲する現在の県道30号は、当初の志賀越道より南に迂回し近江神宮付近を通っています。
元々の経路では、山中村(現 滋賀県大津市山中町)以東は崇福寺(志賀寺)近傍を経て滋賀里へと至ったとされますが、この付近の山中の道路は現存せず、街中区間についても経路が判然としません。具体的な終点位置も不明です。
志賀越道を踏襲する現在の県道30号は、当初の志賀越道より南に迂回し近江神宮付近を通っています。
補足
定まった呼称はなく「志賀越道」「白川街道」「白川越」「安土街道」などと呼ばれてきたほか、滋賀郡山中村(現在の大津市山中町)の峠を越えることから「山中越」とも呼ばれました。ただしこれらの道はそれぞれ範囲や経路が異なります。また、この道より南、西は円城寺から長等山〜灰山遺跡〜如意ヶ嶽〜大文字山〜真如堂に至る如意越に対する新道であることから今道越とも呼ばれたとされています。
歴史
如意越は現在でもハイキングコースとして徒歩による通行は可能らしいですが未舗装の獣道であり安全性は不明です。対して山中越を含む志賀越道は織田信長の時代より徐々に整備が進み、山中越は1934(昭和9)年に乗用車が通行可能となりました。
ただし、三条街道(東海道)が整備されるにつれ近江との主要な街道はこちらに移り、山中越を含む志賀越道は街道としては廃れたとされます。
条坊制を敷き碁盤の目となっている平安京にあって斜線に伸びているのは、当時平安京の域外だった場所と近江を結ぶ街道だったものが徐々に市街地が拡大され取り込まれていった影響です。そして現在の京都大学の場所で分断していますが、これは幕末期に尾張藩京都下屋敷がこの場所に建てられたことに由来しており、このことからこの頃には既に街道としては廃れていたことが分かります。
ただし、三条街道(東海道)が整備されるにつれ近江との主要な街道はこちらに移り、山中越を含む志賀越道は街道としては廃れたとされます。
条坊制を敷き碁盤の目となっている平安京にあって斜線に伸びているのは、当時平安京の域外だった場所と近江を結ぶ街道だったものが徐々に市街地が拡大され取り込まれていった影響です。そして現在の京都大学の場所で分断していますが、これは幕末期に尾張藩京都下屋敷がこの場所に建てられたことに由来しており、このことからこの頃には既に街道としては廃れていたことが分かります。
※道路に面した店舗を表示しています。ショッピングモールなどで、モール自体が面していても店舗が奥まった場所にある等の場合はここには出ません。なお、情報はR7/7/31時点で確認されていますが、それ以降も鋭意追加中です。
R7/7/29
ファミリーマート 大津ひえい平店
滋賀県 🏪コンビニ
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日本郵便 京都荒神口郵便局
京都府 📮郵便局
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日本郵便 京都北白川郵便局
京都府 📮郵便局
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