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新世界
商店街
新世界しんせかい
説明
大阪市にある繁華街の一つで、通天閣の存在が特徴となります。地域全体が浪速区恵美須東として住居表示されており、北から1丁目〜3丁目まであります。
天王寺動物園などがある天王寺公園のすぐ西に位置します。
歴史
1897(明治30)年に大阪市に編入される前は、この付近は西成郡今宮村の一部でした。当時は荒地や畑があるだけの場所でしたが、転機は1903(明治36)年に開催された第5回内国勧業博覧会でした。東に隣接していた当時の東成郡天王寺村(これも現在の大阪市)と共に会場となり、博覧会に合わせて周辺整備が進められました。博覧会の後、跡地は日露戦争中に陸軍が使用し、その後東側の約5万坪が大阪市により天王寺公園として整備されました。残る西側の約2万8千坪は大阪財界出資の大阪土地建物会社に払い下げられ、これが1912(明治45)年7月3日に大阪の新名所という意味で「新世界」として誕生しました。新世界はパリを模倣しており、遊園地ルナパークとともに建てられた通天閣はパリの凱旋門とエッフェル塔を模倣したものでした。このため開発中は「新巴里」などの仮称があったようです。
初代通天閣は第二次世界大戦中の1943(昭和18)年、足元にあった映画館の炎上で解体されることになりました。2代目通天閣が再建されたのはそれから13年後の1956(昭和31)年で、地元の人々の出資で通天閣観光株式会社が設立されたことで2代目再建が実現しました。これが現在の通天閣で、位置は初代より少し北側に建てられています。つまり現在の通天閣は二代目です。
新世界、昭和末期から平成初期まで、交通の便が悪いことも災いして長期にわたり低迷が続いていました。この間に風紀もかなり悪化しています。
平成に入りドラマや映画の舞台になることで観光客の注目が集まり始めます。1997(平成9)年に市電車庫跡地に大型娯楽施設としてフェスティバルゲートとスパワールドが開業し新世界復興が期待されましたが、フェスティバルゲートは2004(平成16)年6月に経営破綻し2008(平成20)年に閉鎖されました。跡地はマルハンがドン・キホーテを核にした商業施設を2015(平成27)年2月27日に開業し、現在に至っています。
しかしフェスティバルゲート閉業以降、再び寂れることが危惧されましたが逆に串カツ店をはじめとする飲食店が多く開業しました。派手な客引きも相まって賑わいを取り戻しており、かつての寂れた歓楽街の面影は払拭されています。結果、現在では風紀の悪い店と新しい店が混在するカオスな空間となり、様々な人々を受け入れる懐の深い歓楽街となっています。
関連

※店舗一覧は、地理的な条件のみで表示しています。店舗は組織としての商店街に加盟していない可能性があります。

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