両御坊道
東西本願寺山科別院への参道となる古道
道路
両御坊道
起点
終点
京都府京都市山科区竹鼻四丁野町42番地1地先(東御坊 東門) (醍醐街道(府道117号))
説明
「御坊道」とは「東本願寺 山科別院 長福寺」を「東御坊」や「御坊さん」と呼ぶところから来た名で、奈良街道から醍醐街道までを東西に結ぶ古道であり、東御坊の東門に通じています。
また東御坊の南には「浄土真宗本願寺派(西本願寺) 本願寺山科別院」があり、こちらは「西御坊」と呼ばれました。その両方のお寺に至る道なので「両御坊」と呼ばれるようになったと思われます。
古くは大津方面より来た旅人が奈良街道からこの御坊道を経て東西本願寺山科別院を参拝し、その後に両別院の近くにある蓮如上人御廟所で蓮如上人のお墓参りをした後、さらに西に進んで醍醐道で峠を越えて京都の洛中まで歩いていったとされます。
また東御坊の南には「浄土真宗本願寺派(西本願寺) 本願寺山科別院」があり、こちらは「西御坊」と呼ばれました。その両方のお寺に至る道なので「両御坊」と呼ばれるようになったと思われます。
古くは大津方面より来た旅人が奈良街道からこの御坊道を経て東西本願寺山科別院を参拝し、その後に両別院の近くにある蓮如上人御廟所で蓮如上人のお墓参りをした後、さらに西に進んで醍醐道で峠を越えて京都の洛中まで歩いていったとされます。
補足
途中に立つ石柱の道標には北側「右 蓮如上人南殿御舊地 并両御坊みち」・西側「此みちたひ人の為しらす」・南側「泉水山 光照寺」・東側「施主 音羽村※※ 六兵衛」(※※の部分は読み取れない)と掘られています。音羽村の六兵衛さんが旅人のために建てたことが分かります。ただ非常に古く、江戸時代頃のものと思われますが建立年月は不詳です。ちなみにこの道標は地域のゴミ集積場となっており大変残念な扱いとなっています。
構成道路
- 京都市道 山科音羽緯13号線(1005108) (奈良街道〜山科本願寺南殿土塁跡付近)
- 京都市道 山科音羽緯26号線(1005122) (山科本願寺南殿土塁跡付近〜四宮川 野田橋(西友北西端))
- 京都市道 山科竹鼻緯2号線(1014101) (四宮川 野田橋(西友北西端)〜醍醐街道(東御坊 東門))
※道路に面した店舗を表示しています。ショッピングモールなどで、モール自体が面していても店舗が奥まった場所にある等の場合はここには出ません。なお、情報は現在、鋭意追加中ですのでご了承願います。
R7/11/6
西友 山科店
京都府 🛒百貨店、総合スーパー
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