御堂筋
大阪市の南北を縦貫する目抜き通り
かつて大阪一の目抜き通りだった堺筋から西に新たに作られた道路で、当初は幅6m程だったとされる細い裏通りを再開発し、完成しました。完成以降は市のメインストリートがこちらへと移っていきました。
この道路は、当時の尺貫法で道幅24間(約43.6m)で作られ、中央4車線と左右に1車線の側道を有し、一部区間を除き北から南方向の一方通行となっています。但しこの側道は廃止が決定しており、順次歩道に転用される工事が実施されています。
細い裏通りだった御堂筋に転機が訪れたのは1921(大正10)年です。梅田(当時の国鉄大阪駅)と難波(南海電鉄難波駅)に鉄道駅ができたことで「南北軸」が必要となりました。当時の第7代大阪市長 關一は、「御堂筋を大通りにし、電柱を地下に埋め、地下鉄も通す」という100年先を見通した壮大な「都市大改造計画」を打ち出しました。当然、当時の大阪市民もこの計画には度肝を抜き、期待もされますが問題は山積していました。
まず住宅密集地で、ここには先祖伝来の土地を守る大邸宅や暖簾を守り続ける商家が多数存在したことです。このため説得の難航に加えて多額の立ち退き料が必要となりました。道路建設費の実に9割がこの立ち退き料だったそうです。加えて軟弱な地盤も問題となりました。元々このあたりは海で、プリン地盤と呼ばれる軟弱地盤です。大正時代には現在のようなボーリングマシンやショベルカーは存在しないために当時の土木技術によるトンネル掘削工事では難航を極め、近隣の家が傾き賠償金を求められたり、地下水が枯れたりといった問題が頻出したそうです。それでも1926(大正15)年10月に始まった御堂筋拡張工事は11年もの歳月を掛けた1937(昭和12)年5月11日、遂に完成したのです。
中央が高速車道、その両側に緩速車道、その外側に歩道、とする現在の御堂筋の原型が完成しますが、当時は車が庶民から程遠い存在だったため大通りながら車通りは殆どなかったそうです。しかし關市長の目論見通り、沿道は空前絶後の大発展を遂げ結果として大きな経済効果を生み出し大阪経済の中心として発展していくことになり、現在ではなくてはならない重要な道路となっています。
※道路に面した店舗を表示しています。ショッピングモールなどで、モール自体が面していても店舗が奥まった場所にある等の場合はここには出ません。なお、情報はR7/7/27時点で確認されていますが、それ以降も鋭意追加中です。
R5/12/29
ドトールコーヒーショップ 本町店
大阪府 ☕喫茶店
R4/12/10
セブン銀行 セブン‐イレブン 御堂筋本町店 共同出張所
大阪府 🏦銀行
R4/6/7
ローソン 難波三丁目店
大阪府 🏪コンビニ
R2/10/16
セブン‐イレブン 御堂筋本町店
大阪府 🏪コンビニ
R2/10/15
ファミリーマート 本町四丁目店
大阪府 🏪コンビニ
H31/1/10
ファミリーマート 東梅田駅前店
大阪府 🏪コンビニ
H30/4/20
ファミリーマート 難波一丁目店
大阪府 🏪コンビニ
H30/4/9
吉野家 御堂筋難波店
大阪府 🥢日本料理店
H29/11/6
松屋 南海難波店
大阪府 🥢日本料理店
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セブン‐イレブン 梅田曽根崎警察署前店
大阪府 🏪コンビニ
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セブン‐イレブン 御堂筋三ツ寺店
大阪府 🏪コンビニ
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ファミリーマート 淡路町三丁目店
大阪府 🏪コンビニ
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ドン・キホーテ 道頓堀御堂筋店
大阪府
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デイリーヤマザキ 御堂筋本町店
大阪府 🏪コンビニ
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心斎橋オーパ
大阪府 🛒百貨店、総合スーパー
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セブン銀行 セブン‐イレブン 梅田曽根崎警察署前店 共同出張所
大阪府 🏦銀行
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セブン銀行 セブン‐イレブン 御堂筋三ツ寺店 共同出張所
大阪府 🏦銀行
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スターバックスコーヒー 御堂筋本町店
大阪府 ☕喫茶店
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スターバックスコーヒー 南御堂ビルディング店
大阪府 ☕喫茶店
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スターバックスコーヒー Olive LOUNGE 船場店
大阪府 ☕喫茶店

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